平成25年4月22日(No5968) 中村忠之さんのお別れ会
投稿日:2013.04.22
中村忠之さんのお別れ会
ユニークで知的な活動を淡々と展開していた「縄文塾」の塾長・中村忠之さんが去る3月8日亡くなられた。行年82歳。故人の意思により家族葬で見送り、4月21日広島センチェリーホテルで有縁の人が集って「お別れ会」が開かれた。中村さんは子どもの時代から病弱であったが、持ち前の探求心、独創的な発想、行動力、人間力で中堅企業のトップになった。
第一線を退いてからは念願であった文筆の世界で羽ばたき、特に日本人のルーツを辿りながら、「縄文人」と呼ばれる日本人の成り立ちに踏み込んだ。さらにその研究をするために「縄文塾」なる私塾を開き、多くの人を導きながら史実を超えて縄文文化ブームを巻き起こした。一部の考古学者の占有物だった先祖の営みが、日本人のルーツ探検者によって明らかに。
日本人の本質は「他を思い遣って自分の我を押さえ込む」特質を持つが、異文化の人間や自分自身まで誤解していたのではないか(中村説)。およそ1万2千年前に独自の文明を生み出した先祖は、創造力と造形の才に溢れた民族だったようだ。独断と偏見に満ちた「乱世の縄文人」「治世の弥生人」論は魅力的で、優れた研究成果に圧倒され、人柄に惹かれた。
「お別れ会」は故人の遺志により、神仏合同?で進められた。般若心経を全員が唱え、玉串奉奠で二礼二拍一礼する初体験。洋酒を飲まないのに「洋酒の会」も主宰し、遺品の洋酒を全員に形見分け。お土産は半熟卵に炭火焼き鶏。大好物だったようだ。ほかに伝統的な縄文の縄をあしらったストラップ。学びの多かった縄文塾通信は消えるが、パソコンの蓄積からいくらでも学べる。多くの遺稿をひも解ける。病とは仲良くしながら大往生した中村忠之さんのご冥福を祈る。