平成22年12月30日(No5124) 年賀状の移り変わり
投稿日:2010.12.30
年賀状の移り変わり
知人から古希を境に年賀状を最後にすると便りが届いた。一つの見識だろうが、さほど意味があるとは思えない。代わりに年末の挨拶状を年賀はがきで届ける人もある。どうせなら「新年おめでとうございます」の方が分かりやすい。明治の頃は「年始の文」を持ってお世話になった人へのあいさつ回りから始まったという。行き届かぬところへ年賀状を書いた。
明治の末頃には年始のあいさつを風潮が広がって、はがきによる年賀状が増えていった。筆書きの自筆が当たり前だったが、昨今は新年の挨拶文だけではなく宛名までパソコンで打つようになった。セットしておけば自動的に作られる。相手の様子を思い浮かべながら、筆書きする風情などは遠い昔物語でしかない。若い人たちはとうに年賀状離れをしている。
今年はわが家でも50年ぶりの喪中はがきとなった。高齢者とのお付き合いが多いせいか、年々喪中はがきが増える傾向にある。今年も50名を超える知人や知人の親族が、鬼籍に入られた。女性の場合、圧倒的に90歳代が多い。それだけ長寿時代を映しているということだろうか。男性は早々と旅立つケースが多い。高齢化社会はまぎれもなく女性中心だ。
例年、元旦から三が日を年賀状の時間に当てていたが、新しい年は喪中のため不要となった。人並みの時間が持てるだけに大切にして新年を過ごしたい。「昨夜は火燵に在りて睡り けふも雑煮を祝ひて火燵を離れずうとうと 年賀状六枚」。(柴田宵曲)出来れば詩のような時間を過ごしたいが、そんな設えもなく今では夢物語。「煎餅を齧りながら寒中見舞」。