平成24年4月24日(No5605) 善行無轍せき(しんにゅうに亦)
善行無轍せき(しんにゅうに亦)
「ひたすら まちを 美しく(二)」を刊行するに当たり、鍵山秀三郎さんに(一)に続き巻頭文をお願いした。過密なスケジュールをこなしておられることを承知しているだけに、いささか忸怩たるところがあった。ご夫妻で「台湾を美しくする会」へ出発される直前に書いて届けてくださった。その中で「老子」二十七章『善行無轍せき』を贈って下さった。
現代語訳では「すぐれた進み方というものは、車の轍や足跡を残さない」とある。前後に「マルコシのみなさんは真っ暗で凍てつく冬の寒い中も、また何もしなくても汗が出る暑い日も、ただ淡々と掃除に取り組まれる姿こそ、子どもたちだけではなく大人にもお手本になり続けています。老子の教えを地でいくような行いに心から敬意を表します(要約)」。
善い行いというものは、謙虚であってこそ価値を生ずる。永く続いている清掃活動を褒めてくださっていると、素直に受け止めた。車の轍や足跡を残さないということは厳しい教えであるが、その行いで傲慢にならなければ許されると思う。ささやかな活動が商売目的であったり、自慢の種に使うというのであれば、それは老子の教えに反する。許されない。
巻頭文の原稿にはメッセージが添えてあった。「『ひたすら まちを 美しく』への巻頭文のご下命をいただきました。木原様の理路整然とした文章に並べられることには、臆するところ大でございますが、せっかくのご指名ですのでお届けいたします。加筆、削除して、文の構成を整えてくださいませ。鍵山秀三郎拝」。人はここまで[無]になれるのか。