平成27年6月2日(№6739) 別れを告げる
別れを告げる
昭和40年にプロパンガス販売店を創業した。当時は原爆のスラム街が中心部のあちこちに残っており、原爆の後遺症を晒していた。焼け跡には不法建築が立ち並び、混沌とした街を形成していた。不法建築ながら店舗と住まいを手に入れた。広島市基町一番地は思い出の場所である。昭和43年、都市計画法が制定され、随時不法建築は一掃されることになった。
移転先として西白島の一等地に建てられたマンションが指定された。当時として家賃がべらぼうに高く思案したが、ほかに選択肢はなかった。適法な建物に店舗を構えることになりほっとしたことを思い出す。移転した翌年、二男(現社長)が誕生した。新しい店舗は事務所兼松下電器のガス機器の展示場としてオープンした。当時としてはユニークな存在だった。
プロパンガスは都市ガスに押され、衰退の一途を辿った。やがて松下電器が進出した増改築業(リフォーム)に参入することになる。一人三役も四役もこなすことになり、若くもあったがよく働いた。西白島町のメイン通りに面していたこともあり、朝まで電気が点いている店としてタクシー業界の話題になった。トヨタ、松下電器、マルコシの3社である。
このビルも築後50年を経て解体することが決まった。未練はあったが存分な活用もならず、あっさり撤退することになった。引渡し期限は5月31日午前11時、市役所の担当者に鍵を渡した。感無量であり涙が溢れた。この場所で働いた47年に対する思い入れは余人には理解できないだろう。来年末には入居者全員が退去し、取り壊しが始まる予定である。
思い出の店舗の前で妻と二人で記念写真を撮った。深い思い入れは誰にも理解できないだろう。そっと胸の奥に畳み込む。