平成26年8月28日(No6461) 創業50年
創業50年
昭和39年8月25日、今は亡き妻の叔父である造力三市氏に案内されて広島市基町の「造力プロパン」に案内された。原爆スラムのど真ん中にある3坪ほどのバラックの店である。他人に任せていたプロパンの小売業の販売をして欲しいという要望だった。当時はふるさとで農業をしていたが、広島で何か商売をしたいという思いが強く模索していた。
農業は嫌ではなかったし、当時は若年ながら農協の理事など務めており村の名士だった。しかし、長男は生まれていたし無医村の将来に不安も持っていた。どうして思い切って広島で商売をする気になったのか、その動機に記憶はないがともかく「造力プロパン」に就職することになった。単なる就職ではなく営業権の継承だから前任者に身分は秘していた。
日給は600円。当時ニッサンブルーバードを購入しておりその月賦が1万5千円。フルに働いても生活費には回らない。西も東も分からない広島の町を地図だけを頼りにプロパンを担いで走り回った。間もなく身分がばれて前任者は「絶対に店を倒してやる」と宣言してライバル店に転職した。口には出せない苦労をしながら、妻と力を合わせて店を守った。
田舎では贅沢な暮らしをしていただけに、慣れないどん底の暮らしは苦痛だった。暮らしのこと、お金のことでいつも崖っぷちに立っていたが、若かったし元気だった。営業権の価格は400万円。今の貨幣価格に換算すれば5千万円くらいだろうか。借金も重荷になったが、昼夜を分かたず働き続けて仕事は軌道に乗ってきた。3度の食事が出来るようになった。
資格を取って営業許可を取り、商工会議所に届けたのが昭和40年2月だから、来年は創業50年の表彰を受けられる。