平成25年6月22日(No6029) 石川元則さん一周忌
石川元則さん一周忌
福岡の畏友・石川元則さんが旅立って一年になる。時が過ぎるのは早いもの。好きだった石原裕次郎のヒット曲に包まれて旅立ったのが昨日のように偲ばれる。ご縁があったのは20年前、経営コンサルタント業を営む石川さんにリフォーム講演依頼を受けたのがきっかけ。その後JR九州や新出光石油の住宅事業部や中堅住宅産業のセミナー提携で深まった。
さらに絆が強固になったのは「中田ひろしと共に日本を良くする会」の活動。勝手な願いを聞き届けてくれて、福岡支部を設立し会員増強活動で支えてくれた。沖縄出身の日本男児である。10歳ほど年下であるが、会の活動では彼を頼りにしていた。期待に応えて東奔西走してくれた。広島で「万縁の会」を開くときには、盟友の石川哲也さんと欠かさず参加。
癌の告知を受けたのが平成23年12月14日、翌日未明の午前4時FAXが入った。「癌と診断され、余命1年と宣告された。どうしたらいい」。「必ず治る。主治医と現代医学を信じること」。癌の先輩として生きてきた信条を返信した。思いのほかのスピードで癌は進行した。気丈な彼はおくびにも出さず、日々の役割を果たした。65歳の誕生日に公表した。
2月3日のパーティで窶れは見せていたが、もてなしの心は健在だった。3月6日、後継指名を終え再度の入院をし、療養に専念した。心の葛藤と身体の苦しみは経験者だけに容易に想像できる。訃報を聞いたとき、彼の旅立つ心境を思い遣った。やりたいことはいっぱいあったに違いない。痛みに耐えながら一縷の望みを天に託したに違いない。好漢は逝った。
10年前、見舞ってくれた。「大抵の患者は転移と死の恐怖に怯える。なぜそうまで明るい」と聞いてきた。心に残る。