平成26年11月28日(No6553) 安岡定子さんの「やさしい論語」
安岡定子さんの「やさしい論語」
第15期の人生講座では「安岡定子のやさしい論語」を学んでいる。難しいことを易しく解説されるからメンバーの皆さんには好評だ。特に米寿の小畑さんは前向きに取り組まれている。テーマ別に章句を紹介され、丹念に解説が加えられる。学んだ全ての章句は全員で素読する。最初の頃は照れもあったが慣れればなんでもない。気分も若返り声も張りが出る。
前回は心に残る教えがあった。「子曰く、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅をもって反らざれば、則ち復せざるなり」。「学ぼうとするものの疑問を解決したいという情熱が溢れんばかりに盛り上がらないと私は教えない。言いたいことがあるのにうまく表現できないともどかしいほどに気持ちが高まってこないと教え導くことをしない」。
「たとえば一つの隅を示すと残りの三つの隅を自分で推測でき、考えられるような人物でなかったら教える意味がない」とも。「憤す」は気持ちが盛り上がり、情熱が溢れ出ている様子。「啓す」教え導くと言う意味。「憤せずんば啓せず」は、学びたい気持ちや疑問が、心の底から溢れるようでないと教えない、という意味。孔子の厳しさが痛いほどよく解る。
「諦めて何の準備もしない人間に、幸運やチャンスが声を掛けることはない。必ずチャンスは訪れると信じ、それに備えて準備をしておくことだ」。この意味もよく解る。本気でないものにチャンスは来ない。燃える情熱があるものには必ずチャンスが訪れる」という意味。教え方が下手なのに結果を求めるのは良くないが、やる気のない人は手の打ちようがない。