平成25年10月26日(No6155) 50年
50年
15年にわたって知遇を受けているMランドの創業50周年にお招きいただいた。最近こそ仕事の注文をいただいているが、小河二郎会長に可愛がっていただき、「はがき」と「そうじ」の交流で続いている。仕事はその延長線上にあり、あらためてその効果の凄さに驚いている。祝賀祭には敬意を表し、妻は着物姿、私はそのために新調した黒のスーツで参列する。
結婚生活も50年を超えたが思い起こしてみると、日本の高度経済成長の恩恵は受けなかったが、その変化を目の当たりにして生きてきた。結婚した頃は電灯こそついていたものの、ラジオもテレビもない時代だった。何一つ文化の恩恵は受けなかったが、とことんつましい暮らしは身につけてきた。今にして生きており、この生活スタイルはこれから更に生きる。
昭和40年2月にプロパンガス販売業の許可を受けた。この年を創業の年と考えれば、後2年で創業50年を迎える。結婚に遅れること2年。ゼロではなくマイナスから生きてきた。マイナスをゼロにし、ゼロをプラスにする。簡単ではないが生き延びてきた。途中で大きな病気をしなければ業績は伸びたと思うが、必ずしもそれが幸せに繋がるという保証はない。
仕事にしても暮らしにしても50年の歳月は重い。商工会議所では10年ごとに表彰式に招待してくれる。厳しい時代に50年生きたことは、企業寿命30年と言われる現在、それだけで価値がありそうだ。仕事の50年はもう少しだが、何とかその日を迎えたいものだ。創業時の苦労を噛み締めながら、夫婦で喜び合いたい。少しはのんびり生きたいものだ。
50年を過ぎてもまだ未達の目標が残る。はがき10万通にはまだ6年掛かる。ディリーメッセージ1万号には10年半も掛かる。そこまで届けば満願成就となる。まだ先は長い。