平成22年12月9日(No5103) 何を持って学校教育の評価をするか
何を持って学校教育の評価をするか
小学校では例年の通り「全国学力テスト」が、算数・国語の二科目行われた。全国と広島市の平均値、それに該当校の成績一覧が表示される。大幅に低い点数の場合×印が、平均値に到達すると○印が付される。評価部会長を委嘱されている学校の一つは、残念ながら平均値を下回る科目が多い。委員からクレームが続出し、議論はあらぬ方向へ進み出す。
「勉強が出来る児童と出来ない児童を、能力別クラスにすべきだ」「ゲーム機の使用を1時間以内に制限するには」などと、委員が立ち入ってはならない、あるいは親の責任を学校に転嫁するような話まで飛び出す。こうなれば学校教育協力者会議のねらいなど吹っ飛んでしまう。ムリ筋を繰り返す委員、ごもっともとへつらう校長など。貴重なご意見なのか。
平均値で○×評価しないで、昨年より伸びていれば、×でも○に変える。落ちていたら、○でも×に変えて再評価してはと提案。成績は良くないが昨年よりは大きく伸びている実態が見える。らちもないアンケートやテストの集計を教育委員会は求める。教師と生徒の触れ合う時間まで奪って統計を集める必要があるのか、それがなんの役に立つのか。
この学校の児童の素行や成績は低位だが、校舎内の整理整頓・清掃は極端に良くなっている。別の小学校かと見紛うほど。校長が代わるだけで良くなったのだとしたら、その責任は極めて重大だと思う。環境が良くなり始めると、間違いなく素行も成績も好転する。前段のゲーム機の時間制限は極めて簡単。「買い与えなければ良い」。これは親の責任。