平成23年5月2日(No5247) 勇気をいただく
勇気をいただく
東日本大震災に対しての支援は、菅内閣の独りよがりと未熟のお陰で善意が届きにくくなっている。参加している業界団体の会長から、数度にわたって檄文が届いている。善意の表し方には生き方の違い、立場の違いがあるから一概にこれがいいとはいえないが、少なくとも善意の強要には違和感がある。金額と氏名を公表して刺激するのはどうか。
かつて何度かボランティア活動にも参加したが、少なくとも被害を受けていない立場の人間が広い心を持たねば疲れる。被災者の心は毎日変わり続ける。揺れ動いている。感謝の表現が出来ないほど打ちのめされている。だから少なくとも恩着せがましい心を持ってはならない。善意の見返りは物心共に期待してはならない。そうしないと善意が萎えてしまう。
といいつつも期待する。歓迎して欲しい、喜んで欲しい、苦労して現地に行った人ほどその思いは強くなる。ところが現地はそれどころではない。追い込まれている。非礼と受け止められる態度もある。それが現実だと思って、ささやかでもこれから長い間続けたいものだ。一切の見返りを求めないことこそが基本になる。そうでなければ押し付けになる。
前川林業の社長夫人よりFAXが届いた。ささやかな善意に対して「『大仕事』をなされましたこと、ほんとうに凄いこと、命がけでしたね。あの真似は私たちには出来ないと心底思いました」。若い社長たちの行動に絶賛をいただき、感謝でいっぱい。ボランティア経験の少ないものは、善意に対していくらかの期待感がある。一文がその乖離を救ってくださった。