平成23年5月14日(No5259) 品のない土下座
品のない土下座
東京電力の清水正孝社長ら重役陣が、東日本大震災の原発事故の被災地を訪れた際、避難住民から「土下座して謝れ!」と迫られてパフォーマンスした。為すべきことをやっておれば、罵声を浴びることもなかったろう。テレビで何度も土下座シーンが映されたが、お詫びというよりもなりふり構わぬ自己保身の象徴のように見えた。
土下座がお詫びのパフォーマンスなら、菅直人首相は立ち上がる暇もないほど、地面に頭をこすり続けなければならない。大震災の3月11日以来、愚かな首相は平気でその場しのぎの軽口を叩いてきた。今もなお続いている。菅直人の言動を見ていると、政治とはかくも軽いものか、いい加減なものか。菅首相は国民の生命や財産よりも己の地位が大切らしい。
もともと土下座は日本の礼式の一つで1700年もの歴史があると「魏志倭人伝」に記されている。庶民が身分の高い人に道端で出会うと平伏する」とある。謝罪の気持ちを表したパフォーマンスではない。焼肉屋の社長などは爪先を立て、尻を高く上げ、地面に頭をこすり付けている。土下座とは似ても似つかぬほど下品極まりない。
品のいい土下座の形としては、京都三条駅入り口の「土下座像」(通称)がある。江戸時代の勤皇思想家・高山彦九郎さんが、御所の荒廃を嘆きつつ遥拝したと伝えられる。跪き背筋を伸ばしている様は美しい。菅直人首相も国民に罵声を浴びせられながら、土下座をするときがもうすぐやってくる。そのときは礼に適った「土下座」を期待している。