平成23年2月20日(No5176) 「唱道」の前にまず「行道」
「唱道」の前にまず「行道」
「唱道の人多けれど、行道の人少なし」の道元禅師は嘆かれたと伝えられるが、いまも通用するほど人間の「業」は頑固だ。道を唱えるべきトップリーダーたちが、軽口で社会を混乱させる困った世の中。何のニュース価値もない鳩ぽっぽなどの言動に群がるマスメディアは、更にその上を行く軽薄さで世の中を貶める共同正犯である。無視すればいいのに…。
毎朝欠かさずいろいろな場所をきれいにしているが、概して一般市民は善良であることが分かる。公園や道路をゴミ箱と勘違いしている人もあるが、大抵は社会規範を守ることができる人たちだ。少なくとも「菅」「小」「鳩」をはじめとする一部の政治家ほど厚顔で恥知らずではない。その証にきれいなところはゴミ箱にしない心を持ち合わせている。
きれいな町で暮らしたいと多くの人が願っている。至るところに「町を美しく」のスローガンや標語をプリントした横断幕などが掲げてある。口を酸っぱくして唱えたところで、範を示さなければ人は動かない。ゴミを拾わないまでも捨てなければ、きれいにならないまでも汚れはしない。稀にエリア外を掃除するが、差は歴然としている。きれいにすればいい。
道を唱えるのは構わないが、気付いて道を行う方が目標達成には近道だ。「行道」をひたすら為しながら、あるいは平行しながらの「唱道」は効果が高い。人も心を開いてくれる。もしかしたら行動に移してくれるかもしれない。口先だけでごまかそうとする人が多い世の中だから、行いで示される価値は一層高くなる。何事も黙々と行い続けたい。ねえ、菅さん。