平成30年1月6日(№7530) 初出勤

初出勤

今年は曜日の流れがきちんとしており、一月一日が月曜日で本日が土曜日になる。いつもなら一月五日が初出勤になるが、今年は一月六日と決められた。一日でも休みは長く感じられる。一月七日が日曜日、一月八日は「成人の日」となり、いつまでも正月気分は抜けない。今年も休まず出勤した。毎日清掃日と決めているから休めない。江原さん、大西さんも。

 

本日は初詣。昨年から地元ではなく市内の鶴羽根神社に変更した。町内の亀崎神社の宮司は学校の教員である。出勤日だから休めないという。飯を食べるのは学校の給料かもしれないが、地域の氏神様の祭司として為すべきことがあるのではないか。近年はこういう宮司が増えて氏子の信仰心が薄らいでいる。賽銭や初穂料が少なければ増やす努力をすればよい。

 

鶴羽根神社は都会の真ん中にある有名神社だけに、華やかで神々しい。宮司の祝詞も衣装もキチンとしている。お正月をやっと迎えたような気分だ。祝詞で商売繁盛するほど安易ではないが、「今年も頑張るぞ」と新しく心に誓った。交通安全のお守りと神札をいただいて帰社した。新年の会食をしながら今年の抱負を述べ合った。午後からは月例会議が開かれた。

 

明日と明後日は新年早々の連休となる。孫の次男坊・啓文は成人式だ。大晦日と新春二日の夕方は全員が集合し、ご馳走をいただいた。親夫婦、子供夫婦3組、それに孫が7人の大勢である。次に集まるのはお盆の墓参りとなる。時間と共に身体は不自由になる。長生きをしたいが他に迷惑は掛けられない。3月1日には私が81歳、4月1日には妻が80歳。

平成30年1月5日(№7529) アベノミクス六年目の課題

アベノミクス六年目の課題

安倍首相は経団連の新年会合でニッコリしながら、「給料の3パーセントアップをお願いしたい」と日本経済界の重鎮を前にあいさつしたい。経団連のお歴々は「今年の景気はよさそうだ」と口々に観測を述べていた。「ただし、中小企業は厳しいだろう」と言う声も聞かれた。賃金を上げたくても人手がないのが現実。新卒は高収入が得られる大企業へ向かう。

 

大企業の寡占は日本経済全体の数字を押し上げるだろうが、多くの国民の幸せがそれで得られる訳ではない。全てが平等にとはいかないが、「報いのある社会」が求められる。安倍首相は「働き方改革に挑戦する」と強調したが、大企業と中小企業の働き方はそれぞれ異なる。学校の現場も時間内に職場を去り、家庭で仕事をしなければ成り立たない方向に進む。

 

中小企業、とりわけ零細企業では、休日は会社へ出勤しないで現場に出る例も多い。働かないと売り上げは上らないし、会社の経営も成り立たない。国費を無尽蔵に使える国会議員に理解できない世界が日本中で動いている。景気や株価が上がっても、給料や生活のレベルは上がらない矛盾をどうするか。重大政策の一つである「教育無償化」はばらまきになる。

 

幼稚園から大学まで等しく教育を受けるために無償化をするのはよいけれど、財政の再建とのバランスをどうするのか。これ以上借金を増やして財政が破たんしたらどうするか、やがて金利も上げざるを得ないときがやってくる。総裁選挙までに「デフレ脱却」を達成する目途は立っていない。経済はやがて後退期を迎える。アベノミクスは終焉に向かうのか。

フォーラム新聞183号 2018年1月発行

フォーラム新聞183号
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平成30年1月4日(№7528) 貴乃花親方への集団リンチ

貴乃花親方への集団リンチ

マスコミが連日垂れ流す貴乃花親方へのバッシング。日馬富士らの集団暴行より沈黙の貴乃花親方が悪いとはどういうことか。貴乃花親方は理事から二階級の降格処分を受けたが、八角理事長は「あれは処分ではない、単なる処置だ」と嘯いた。喧嘩両成敗だというが、今回の暴力事件はその比喩は当てはまらない。頭から血を流した貴の岩は無抵抗でやられた。

 

本人に言わせれば「何も悪いことはしていない。それなのに横綱たちが一方的に暴力を振るった。誰も止めなかった」。これは明らかにリンチだ。日馬富士は自発的に引退し、50万円の罰金で済んだ。リンチを黙って見ていた白鵬は止めもせず、事件を協会に報告もせず、減給一か月半の処置で済んだ。土俵を休むことはない。八角理事長も減給三カ月で済ませた。

 

地位には無関係だ。こういうことを処置と言う。それに比べ貴乃花は二階級降格の処分である。これは不公平ではないのか。特に八角理事長は最低でも白鵬の出場状停止、八角理事長は己の役職を降格すべきではなかったか。そうすれば世論も納得するだろう。「モンゴル勢の星の回しあい」を拒絶したから、貴の岩は横綱に可愛がられたと言われても仕方がない。

 

貴乃花親方の態度も組織人として決して良いとは言えないが、大横綱が絡む集団リンチの真相究明が急がれるべきだったのではないか。おかしなものを「おかしい」として行動を起したものは「異常」であり、「危険」な存在とされる。「従順」と「奉公」が正義とされる日本の社会では、白鵬のように「パワハラ」や「いじめ」で、力づくで従わせるしかない。

平成30年1月3日(№7527) 伝統文化と人権が衝突

伝統文化と人権が衝突

スーパー・フジへ行く途中の陸橋から北を眺めると、歩道脇に植えられた楓が美しく色づいて多くの人に秋をプレゼントしてくれていた。それが今年から見られなくなった。わずかな市民が「掃除の手間」を嫌がり、街路樹を短くするよう区役所に要望したのだ。楓がいろいろな姿を見せながら散り行く姿を見るのは嫌いではないが、後始末をするのを嫌がるのだ。

 

そのような場所が地域内にはたくさんある。近場では聞かないが「除夜の鐘」が煩いと猛抗議をし、お寺に中止させた例もある。東京都小金井市の曹洞宗「千手院」は近隣への配慮から、2014年から「除夜の鐘」を自粛している。住宅街では住民の中に不快を感じる人もいるだろう。そうはいっても昔からの伝統行事だ。騒音と言うべきかどうか、どう解決?

 

考えられないようなことだが、「除夜の鐘」の中止までに相当の争いがあったと推察できる。確かに喧しいと言えばそうだが、108つの鐘が我慢できないほどではないだろう。現実にはたくさんのわがままものがいるのも事実だ。あるお寺では昼間に「除夕の鐘」を撞くことにしたそうだ。それも悪くはない方法だが、「除夜の鐘」で年越しを知ることも大切だ。

 

年末の「餅つき大会」も中止の槍玉にあがった。ノロウィルスや集団食中毒の恐れがあるという抗議だ。伝統行事を取りやめる理由はそれなりにある。しかし、何百年と受け継がれて来たものが今、相次ぎ苦境に陥っているのは現代特有の背景もあるようだ。地域の交流が薄くなっていることも一つの要因だ。地域住民同士の信頼関係が薄くなっているのでは?

平成30年1月2日(№7526) 年賀はがき

年賀はがき

初詣から午前三時帰宅し、3時間の睡眠を取り起床した。「さあこれから年賀状」と気持ちだけ張り切ってスタートした。その前に新聞と年賀状を取りに郵便受けまで行った。新聞は厚くて片手では持ちきれないほど、年賀状も予想外に多く持ちきれない。うろたえているうちにバランスを崩し、後ろへ仰向けに倒れた。左足、右手のひら、頭二か所を打撲した。

 

それでなくとも身体が不自由なのにやっとの思いで立ち上がった。左足の膝の裏と首の右側をひねっている。年賀状どころではないが、決めたことだから平然として実行する。まず朱墨で「寿」を中央に書く。拡げて乾かす。280枚を書いたころには一枚目が乾く。「寿」の右には墨汁で「新年おめでとうございます」、右には「すばらしい一年でありますように」。

 

一言添えられるように空間を作っておく。元旦に届いた年賀状を見ながら宛先を書くのだから思いもこもる。前回は夫婦連名であったのに女性一人の名前、男性1人の名前、不運があったに違いない。やはり賀状は夫婦連名で書かせていただく方がいい。新年欠礼の挨拶状も40通あった。当方も高齢だから無理はない。こうして一人ずつ寂しく旅立ってゆく。

 

予定通り3日には全ての宛名を書き終えられる。結構苦労があったがその達成感は他から得られない。どうして元旦から書き始めるかと言うと、年賀状を投函して死んではたまらない。少なくとも1月1日には元気で新年を迎えたという証が欲しい。届くのも遅くなるがそれだけ目にも止まりやすい。屁理屈を並べるが、年内に「新年おめでとう」とは書けない。

新年あけましておめでとうございます

平成30年1月

第五回夢拾い開催

昨年十一月三日文化の日に高陽地区のゴミ拾いをしながらウォーキングをする『第五回夢拾い(ゴミ拾い)ウォークin KOYO』を開催しました。秋晴れの中三歳から八十五歳までの九十五名が「自分の住む街の道路から一日だけでもゴミを無くそう」という趣旨のもと参加していただき感謝でいっぱいです。当日、拾った夢(ゴミ)の重さは第一回百四十六kgに比べると第五回は大幅減の五十六kgと減ってうれしい限り。少しずつ街がきれいになっていると確信できます。

 

 

今後の課題

しかしながら地域のイベントやスポーツの大会などと日程がぶつかり前年度の参加者を大きく下回る結果となりました。今年は他の行事をしっかり調査して日付の設定をいたします。例年参加くださっていたにもかかわらず予定が重なり参加できなかった皆様大変申し訳ありませんでした。もう一つは当初からの課題、なかなかご参加いただく方の輪が広がらないことです。広い町内を私たちの手できれいにするにはより多くの参加者が必要となります。私たちの最終目標は千人夢拾いです。

 

 

改善のヒント

昨年の反省も踏まえいろいろ悩んでおりましたところ、高陽地区青少年健全育成連絡協議会主催の「第三十二回意見発表大会」に招待いただきました。

これは地域の小学六年生十六名、中学校一年生八名の児童、生徒が環境問題や地域の問題、命の尊さなど様々な視点から考え、意見を発表する場です。ある児童が私たちの日々の清掃活動やトイレ磨きに関心を寄せきれいな街づくりに対し意見発表をしてくれたり、中学生の生徒は登校時に私たちが陸橋の雪かきをしていることに感謝の意を発表してくれたりしました。また実際に夢拾いに参加してくれた生徒は参加することの喜びと体験する大事さを発表。創業者がたった一人で始めそして社員とともにきれいな街並みを目指し微力ながら地域清掃させていただいて二十八年。子供たちが少しずつ認めてくれ、共感していることをうれしく思いました。ここに解決のヒントを得ることができました。地域の子どもたちが関心を寄せ認めてくれるのに参加者が少ないのはこちらのアナウンスいわゆる周知が足りないことに気づかされました。

今年も街がきれいであるように願い『第六回夢拾い(ゴミ拾い)ウォークin KOYO』を開催します。今度こそしっかり告知してまいりますので皆様お誘いあわせの上ご参加くださいませ。

 

 

平成30年1月1日(№7525) 平成30年元旦

平成30年元旦

長い間続けている元日の行事だが、一昨年は緊急入院と肝臓がんの治療のため病院で新年を迎えた。昨年から新年の行事を復活したが、何と言っても身体がいうことを聞いてくれない。今年は昨12月31日の午後11時から、孫二人を従え掃除をスタートさせた。1階から電気を点け開口部を全開し、1年間の溜まったゴミを箒で屋外に追い払う。形式的だが…。

 

小さなビルだが簡単ではない。2階の事務所、商談室、3階の教室、応接室、事務室、4階の仮住居2室、屋上と続く。それらの開口部を開放しゴミを追い出す。除夜の鐘とともに新年になったら国旗を掲揚し、屋上から開口部を締めて降りる。新年の幸を呼び込んで1年間外に逃がさないためである。仮住居には15日からお客様が入られる。快適に過ごされる。

 

全ての掃除を終えたら零時20分。今度は屋外の掃除は入る。社屋の裏からガレージ、前面の歩道の落ち葉をきれいにする。玄関の入り口に水を撒いて終わる。やっと初詣の車が迎えに来た。今年も白木町志路・宮崎神社に子供、孫11人で2台に分乗する。今年も参詣№は33番、姓名の字画数と同じである。昭和21年から連続72年も家族はお参りしている。

 

これからの大仕事は年賀状書き。多くの人は年賀状を中止しているが、腕が動く間は書き続けたいと思っている。それにしても随分書かせていただく先が少なくなった。多い時期は800通書いていた。今年は280通の予定である。仕事先もなくなった。畏友も多くの人が旅立った。親戚も減少傾向である。今日から3日間の予定で書きあげる。根が詰むかな。

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